誰にするわけでもなく、自分のためにこの話をする。
僕は舌小帯短縮症って障害ってほど立派なもんではないがまぁそういうのである。人間には舌べろを顎とつなぎとめてる帯があるんだが僕のはそいつが前に来すぎてて、少なくともガキの頃はうまい事言葉を話せなかった。タとラとナとカあたりがごっちゃになっちまうのよな。訓練でまともにはなったらしいんだが実感がわかん。今でも時々「博多」が「ハタカ」になっちまったりする。
俺の幼稚園の時の担任ってぇのが偉い人で、何言われたっておかしかねぇのにそのリスクを冒して、息子さんはこういう障害かもしれないので隣近所の小学校に養護学級があるので通わなくとも相談してみてくれと言ってくれたんだ。
母ちゃんもそれを信じて相談しに行ってくれたんだからほんとにありがたい。して幸いにもその手の言語に問題を抱える児童を一時間一対一でみてくれる「ことばの教室」って制度があってそれに通うことになった。そん時のことはあんまり覚えてないんだが人のいい爺さんの先生に親切にしてもらったのは憶えてる。一応の合格のお墨付きをもらって小学校に上がるとき一端の卒業をした。
であったが、やっぱり同級生に比べては劣ったものであったので毎日赤ちゃん言葉だのなんだのいじめられては泣きべそかいて帰ってきた。
そんで母ちゃん、大人になってからなんでもっと手を尽くしてくれなかったんだって怒られたら親として不甲斐ないってんでもっかい相談しに行ってくれて、この年になってしまうと改善の見込みはないかもしれないし何より過去に例がないとは言われたが、それも何かは得られるはずだ、何より親としてベストを尽くしてやりたいと小学校を説得して小学校4年のころから週に一時間ことばの教室に通えることになったのだ。
そん時担当になったT先生には本当に良くしてもらったし、4、5年の担任だったM先生とW先生にもいろいろと手を尽くしてもらった。何より母ちゃんだって送り迎えの負担も馬鹿にならなかったろうに。思春期の只中にしてお前は他人よりも劣ってるんだと突きつけられるのはなかなかにつらい経験ではあったが、ともかくとして僕はそれを乗り越えられた。感謝しかない。
しかもまぁ恐ろしいことにこの舌小帯短縮症ってのは今日の日本医学会においても乳幼児突然死症候群原因であるなんてトンデモ学説が出てくるくらいには研究の進んでいない分野であるし、当然リハビリ、それも発音の仕方が確立した児童相手のものなんてものは存在しなかったのである。しかも対象児童は頑固で直したがらないときた。そんな中でさじを投げなかったT先生のおかげで今があると思ってる。
訓練ったって舌のストレッチと発声練習みたいのが主。それに効果があったのかは甚だ疑問である。であるがとにかく今後を生きていくために障害を認めてごまかす術を授けることを教えてくれたのが何よりありがたかった。
そんでうまくしゃべれなくて苦しいのは自分だけじゃないことも知った。俺とおんなじ症状のやつもいたし、もっと違う原因にやつもいたし、ちゃんと手帳を持ってるやつだって少なからずいた。当時は別にって感じだったが、今になって思う。障害者って人生しか選べなかった彼ら兄弟に対し、俺はどうにか健常者の中にしがみつけたし、だからこそ前を向いて歩いてかなきゃならない。反対に俺達のうちの誰だって明日事故って顎が砕けて障害者にならないとも限らないんだから彼らのことを見捨ててはならない。
誰かに預けられたもの、勝手に俺が背負ったもの、そういうの担いで俺は歩いてく。あれらの重さがあればこそ俺は前を向いて歩いてけるんだ。
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