いろんなことを考える日。
70年前に原爆が広島市に落ちた。それは変わらない。我々は仏さんがいるのだから祈らにゃならない。今年はオバマさんが来て、一緒に祈ってくれたのだ。何かが変わることを期待せずにはいられない。例年のように政治主張の場に使われなくてよかった。祈りの場なのだ。何をおいても我々は祈らねばならない。
ポケストップ廃止問題についても一つ。人々があの場を訪れるきっかけにはよいかもしれないが、祈りの場に似つかわしくないのもまた事実。大勢の人がそれを望んだのだから、民主主義国家に生きる以上それを否定するつもりはない。ただ、排斥だけを考えるのではなく、共存を模索していくこともまた平和の一歩だと思う。
オリンピックが開幕した。スポーツと平和の祭典だ。つつがなく終わってくれればいい。まぁそうはいかないんだろうが。なんというかブラジル市民が一つになり切れていないのは残念。もっとも諸々の問題を解決しないままの開催にも問題がないわけではあるまい。北朝鮮の代表団も政治家を送り込んできたらしい。スポーツの祭典なんだ。期間が終わってからでもよかろうに。テロも心配だ。あの場所が血なまぐさい政治の場にならないことを願ってやまない。
沖縄のヘリパッド問題も血なまぐさいらしい。政治屋も、市民とやらも、ついでにマスコミもどっちも気に入らん。どっちもだ。例の暴行事件を盾に防衛局員を送り込む政治屋も政治屋だが、それに対して違法な手段をもって対抗して、やれ「政治による暴力だ」「民主主義は死んだ」とぬかしやがる連中はもっと気に入らん。そんでもってそれをどちらか一方の見方だけを伝えて憎悪を煽るマスコミはもっともっと気に入らん。
確かにやんばる地方の自然環境は極めて貴重であり、保護に値するのは自明のことだ。そしてヘリパッドが必ずしも必要でないことも。それを主張すればいい。それなのになぜ暴力に訴える。なぜ悪者になろうとする。なぜなのだ。愛と平和だ。ジョン・レノンだ。これじゃ彼とて草葉の陰で泣いておろう。
尖閣諸島の方には中国の漁船が230隻も来ているらしい。これこそが暴力だ。エスカレーションだ。どうーせ禄でもないことになる。血なまぐさい政治だ。暴力だ。いっそゴジラでも来て尖閣諸島が無くなって方がありがたいかもしれない。
そうそうゴジラも見たんだ。スーパーXが出る奴。人の手により生み出された動く核兵器。「人間のほうがよっぽど化け物だよ」。自然環境を破壊して省みず、ただただゼロサムゲームに興ずるが故の自然の怒りだ。それがゴジラであるし、今起こりつつある自然環境の諸問題なのやもしれん。
我々は今一度、民主主義の理念に、否もっと人間としての根本の部分に立ち返ろう。我々は欲を持ちすぎてはならないし、助け合って生きていかねばならない。ルールは守るものだし、やたらな殺生はしてはならない。ただその原則を守るだけでも世界はよりよくなるだろう。
もしかすると努力したってそんなに良くはならないかもしれない。でもよくなるかもしれないって可能性を信じることが大切なのだろう。
今年のオリンピックのテーマはまさに環境問題。争いは簡単には地上から消えないかもしれないが、自然くらいは良くできるかもしれない。我々の代でどうにかしない限り、次はないかもしれない。まさにどんづまりのどんづまり。
ユーザ登録画面に移動