いかり
怒るってマァ体力を使うことでして、くたびれた大人の一員となってしまった僕は日常の中で色々感じ入ることがあってもお風呂に入るとど~でもよくなってしまうのだ。
今の僕はもはや白アザラシの抜け殻なのかもしれない。諸君の愛してくれた、白アザラシは死んだ、なぜだ。
戦局が落ちついたわけではないが、対岸の火と見過ごすことを覚えてしまったからだろう。日本の片田舎で普通に会社員してる分には頭の上に爆弾が降ってくることも猟銃を向けられることもないし米国債がデフォルトしてもボーナスがいくらか減る程度である。
この調子だとそうも言ってられねぇのかなという不穏さは社会の中から感じるが、かといってこの居心地の良い殻の中から出てくる気にはなれないのだ。
殻の中から出てきた奴らは皆一様にやれディープステートだ、即時停戦だ、ジェンダーレスだと醜態をさらしてくれるので余計にそれに拍車がかかる。ああいうのと一緒になって自分に酔うよりかは生ぬるい夜風に当たりながらビールで一杯やる方がまだましというものである。
思想が金になる時代である。
アフィリエイトという奴だ。人の感情を煽るようなことをやって、それで広告収入が入る。この構造は変えられないだろうが、しかしよくない。適当で過激で失うもののない奴が得をする構造だ。
今はせいぜいインターネットの賑やかし程度に過ぎないがいずれ実社会にも影を落としてくる、というかもう落としているのかもしれない。
ツイッターでチューブニンニクを丸のみして万バズする奴も、チックトックでバカ踊りして日銭を稼ぐ奴も、フィリピンのルフィに騙されて強盗を働くやつもみな同じである。失うもののないノータリンだ。
だから政治の側はこういう馬鹿が跋扈するのを防ぐために、国民の適当さを強制するか、あるいは失うものを作らなきゃならない。
ユーザ登録画面に移動