観光地の非人道性
「北朝鮮に鉄道マニア34人で押し掛けた話」って記事を読んで上のようなことを思った。
記事の内容はというと、まんま。世界で最も珍しい鉄道、ピョンヤン地下鉄を見に行こうって文句で鉄オタ集めてきてピョンヤンで冷麺食って帰ってきたってただそれだけの話。
でさぁ、最後北朝鮮というのはごく普通の観光地だった、みたいな感想で結ばれるの。いやいやいや、世界最後の共産主義国だぜ?普通のわけねぇじゃん。
観光とはなんぞやと考えたときに身も蓋もないことを言えば、他人のテリトリーにずけずけと入っていってジロジロ見まわしてアレコレ感想を言う行為なんじゃないのかと思った。そう考えるとえらく野蛮で非人道的な行いじゃあないか。
そう考えると観光地に住むと、多かれ少なかれ人権をはく奪されることになるのだ。例えば有名な話だと京都では条例で派手な色の建物は建てられない。これは見ようによっては自分の土地に好きに建物を建てる権利の侵害のわけだ。
あるいは、白川郷なんかに生まれた日にゃあ自分の生家を世界遺産だか何だかってじろじろ見られ写真にとられ、当たり前にやってる屋根の修繕を日本のあるべき姿だなんてテレビのコメンテーターに評されるわけで、たまったもんじゃない。
逆説的に言えば観光地の素晴らしさは住民からはく奪した権利の重さによって決まるのではないか。
その最たるものがテーマパークというやつで、あそこの住人は驚くべきことに全員町に雇用されて町に奉仕することを生業としている。あれこそが僕がウエスタンランドの川岸で、トゥーンタウンのパステル色の小屋で時折感じる背筋をじわじわ蝕むような得も言われぬ不気味さの正体なのではないか?
本来、都市というのは秩序・無秩序、思慮・無思慮、自然・不自然がないまぜになったカオスによって生きているが、テーマパークは都市を模してこそいるがこういうカオスのない死んだ町なのだ。
そういう意味で北朝鮮はミッキーマウスの代わりに、雄大な白頭山の如き(中略)人民を導く希望の光、金正恩同志を戴いた巨大なテーマパークなわけだからそりゃあ最高の観光地に違いないわけだ。平壌キムキムランド。
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