日本史の転換点
別の日本が生まれるには何所に分岐があるのかってよく考えるんだけど、アメリカに勝っても、維新が成立しなくても、信長が天下をとっても2000年代には案外今の日本に収束するんじゃないかと思うんだよね。
ただ今日ちょっと思ったのが、明治期の自由民権運動がより大規模な流血を伴った形かつ活動家にとって不本意な結末に終わっていたらもしかすると全然別の国になってたんじゃないかと。
およそどこの国民も市民が血を流し自由を勝ち取ったという歴史を持ってるんだけど、日本人にはそれがない。我々にとって人権とか参政権というのは気が付いたらあったもの、より極端には海の向こうから来た人らに半ば押し付けられたものとさえ入れるかもしれん。
阪神負けたの?
そういう文脈がないのでなぜ今ウクライナ人が血を流し戦っているのかが理解できないのだろう。ただ無意味に意固地に無駄死にをしているようにすら見えてしまうのだろうな。
誰の事とは言わないんだけどさ、というかいろんな方面から聞こえてくるんだけどさ、ああいう極端な人権弾圧をする国に投降するということを軽々しく口にしてはいけないんだよ。人権の保護というのは矛盾するようだが命より重いんだ。
人権というのはただ一人の持ち物じゃないんだ。それを勝ち取るために血を流した人たちの物でもあるし、それを受け継ぐべき未来の人たちの物でもある。
自分の頭の整理をしようと思って書き始めたんだけど何かいても陳腐っすね。どこ切り抜いても人の受け売りみたいな気がしてやんなるね。
それはそれとして、あんだけ国土荒らされまくってるのに軍艦沈めて一矢報いられるんだから我が国も弾道ミサイル持っとくべきだなって気持ちと、あれに頼る事態になったらそれはもう我が国終わってるんだから持つ必要なくないかって気持ちが同居する今日この頃。
ウクライナは3日持たないだろうと思ったら1か月持ちこたえてるし、携行対空ミサイルは正規軍同士の戦争では役に立たんだろうと思ったらめっちゃ役に立ってるし、我が国表立って支援することはないだろうと思ったらしたし、まさか住宅地に向かってクラスター弾頭は使わんだろうと思ったら使うし、病院は攻撃しないだろうと思ったらしたし、本当に頭がおかしくなりそうですよ。
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