うちの子、よその子、誰の子
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茶緑@電氣ブラン (プロフ) [2017年8月14日 11時] 4番目の返信 [違反報告]どうにしようもない明確極まりない終いは
掛け替えのない唯一無二の存在の消失は
あたかも大事で、あたかも絶望で、あたかも自身の欠落の様に思われるそれはしかし何の事は無い営みの一分でしかない。
失う事は必然である
失う事は必然である。
だから何だ。喉を裂くよな叫びが響く。
乗り越えよう、乗り越えなければ。水面に呑まれきった諦めのよな、水底から見上げた陽のよな言葉が響く。
何も変わりはしないのだ。抜け落ちた魂が地を這う中零す。
これは私を変える為の事であったのだ。意図的に盲た幼子が零す。
恐らく、と繕う必要も無い程にそのどれもが真実であった。
故に、
故に。その全てが真実であるが故に。
本当の事等無いのだと、
本当の事は確かにあるのだと、
本当の事を理解する事等出来ないのだと、
本当は、本当は。
それらに意味など無いのだと
しかしそれには形があった。
しかしそれには色があった。
しかしそれには温度があった。
しかしそれには意思があった。
ありもしないものだ。確かにあるものだ。この2つの声は同じ事を言っているに等しい。
何故なら「それ」を、
何故なら「それ」に、無いや有るやと云々出来るだけの形を
認識しうるだけの形を与えているのだから。
「名」はそれを縛る枷であり、それをそれたらしめる枠組みで器だと言う。
「言ノ葉」は無為の存在に色を付け、温度を与え、意思を据えた。
それはその意思のままに根幹たる「██」を作り、「██」に添うて「██」の上に
「██」は「██」であり、「██」が「██」であると言う「前提」が成るならばと形作る。
誰に触れる事も許されない、誰も知り得る事のない、しかし誰某の中にしかないそれは
それを
「確定」
「特定」
「決定」
「推定」
「断定」
そう「便宜上称している」行為とも能力とも付かぬそれは「許されている」のだろうか。
否、それに意思は存在する。けれどそれは意思を現しなどしない。
否、それに意思等存在しない。けれどそれは明らかに不規律とは思えぬ物を現している。
許しているか、否か
認識されているか、否か
そんなものはそれをそれと、それはそれなのだと器を与えたと言うだけの私達には解り得ない事柄なのだ。