花吹雪
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愛と夢のある人生 (プロフ) [2020年3月2日 23時] 13番目の返信 [違反報告・ブロック]脳科学の観点から、ピアノは幼児の脳の発育に効果的らしい。だからなのだろうか、塾漬けでやっと入った私立中学の頃の同級生は、ピアノを弾ける者が非常に多かった。
音楽の授業が終わった後、彼らは仲の良い友人を椅子の隣に座らせ連弾をしていた。ピアノの弾けない僕はいつだってそれを見ているのが大変につまらなかったけれど、雰囲気を壊してしまうことを恐れていた為に、にこにこと笑顔で、楽しげな音色につられ気分も楽しくなっていることを装っていた。
だから、ピアノに初めて触れたのは、二十歳になってからだった。
日当たりの良い病院の受付で、病院に備え付けてあったピアノの曲線を視線でなぞっていた時、看護師に興味があるならどうぞと弾いてみることを勧められた。けれど僕はピアノなど弾けなかったから、逆にその看護師へピアノを弾いて僕に聞かせる様に頼んだ。その看護師が幼稚園免許を持っていることを聞かされていた僕は、幼稚園免許の取得にピアノの演奏技術が必須なことを知っていた。
看護師はほんの少しだけしか弾けないですよ、と断りを入れて、僕に演奏を聞かせてくれた。それはこの国の人間だったなら誰でも聞いたことがあるであろう、至って国民的な幼児向けの曲だった。
何故だろう。聴き慣れすぎて聞き飽きてしまっていると思っていたのだけれど、聞いていて、なんだかすごく安心が出来た。もっと聞きたいと思った。
だから僕は、その日のうちに備え付けの楽譜を手に取り、ピアノの概論や音符の読み方を一から調べ、自分でも弾いてみた。しかし僕は全然、これっぽっちも満足が出来なかった。だから僕は数ヶ月間、看護師や医者も巻き込んで、退院までずっとピアノの練習を毎日毎日欠かさずやっていた。おかげで何曲かは弾ける様になったが、僕は結局一度も自分の満足のいく演奏が出来ることはなかった。
本当はピアノを始めてから一週間程度で、僕が求めていたものは…看護師の演奏の時に感じたあの満足感は、永遠に聞いていたいと言う気持ちは、決して音色に対してのものなどではなく、…僕に向けられた曲で、音であったから。身も蓋もなく言ってしまうと、構ってもらえたから満足して安心していただけだと気付いていたけれど…その事実が腹立たしかったのでなんとなく無視していただけだったが、そんなことはどうでもいいんだ。
駅構内の、演奏自由のピアノを弾いている桃色の髪の女の演奏に半ば目を奪われていると、女の演奏がひと段落したのを感じ、好奇心のまま女に近寄り、馴れ馴れしく声を掛けてみる。
「お姉さんピアノ上手いねぇ〜…それ今弾いてたの、なんて曲なの?」
少しだけ、昔を思い出したのだ。