世間一般的にいう「悪いこと」とか「汚いこと」をやりたいと考える度に頭に過るのはわたしの恩師。その人がいたから、まだわたしはわたしでいれる。
汚くしてかないとやっていけないけど、それを抑制するのはわたしの自尊心でも自制心でもなく、恩師と推し。
恩師に最低なことをしてしまったことに対する後悔は、自分を正しく導く道標に。推しに釣り合いたいっていう願望は自分を奮い立たせる活力に。
水商売のセンスも、それをやって恩師に合わせる顔もない。水商売自体は全然良いと思うし、それでやっていけるってことはどこか魅力があって話術に秀ている。って考えているけど。恩師に言われたことを信念に、その人に近づけるように、なりたいってだけ。
憧れがある。どんな水商売でも、接客業で、顔が良くて身体的にも美しく、話術に優れ、経験がある。そういうのやってるひと、単純に凄いなって思う。好きでやってるひとも勿論いると思うけど、そこら辺って五分五分だと思う。わたしは人見知り激しくて、初めましての人は女子でも男子でも話せなくて、目が合わせられなくて、顔なんて見れるものじゃないし体型だって俗に言う“デブ”の分類。良いな、なんて。
整形、したいな。水商売って、白い目で見られることが多いかもしれないけれど、カッコイイ。遊郭の花魁に憧れを抱くことに似てるような、似てないような……。ホストもキャバも好きだし、風俗のお姉さんだってカッコいい。どんな客でもプロフェッショナルに相手して、沢山の人から好かれて……………。
どんな接客業よりも、ヒトに求められている感じがするのが、憧れるところなのかな?
なぁんて考えてたら余計に鬱になっちゃった。
私の病みは“嫉妬”“憧憬”“不安”“後悔”“将来”“家庭”“世間”“過去”“羨望”から生まれます。さらにそこに沢山の感情を加えて混ぜて、劣等感や疎外感、やるせなさをトッピングに鬱が出来上がります。
軽率に病めます。なんでも軽率。
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