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ここ最近、ずっと、体が重い。原因をすでに悟りながら、またそれを悟っているからこそ、櫂は不機嫌だった。そしてその日は、ひどく頭も重くて、辛くて、そのまま学校であるにも関わらず倒れてしまったのである。「……いい加減、認めなあかんのやろか……」subの本能を抑える薬は実は、すでに買ってあるのだ。ただ飲んでしまうと副作用が出るから、使っていないだけで。……副作用が出ると、自分がsubであることを認めなければいけなくなると拒みたくなるだけで。
「失礼します」そう言って教員である浅葱は保健室に入ってくる。先程、浅葱の担任のクラスの生徒である大城戸櫂が倒れて保健室に運ばれたと他のクラスメイトと養護教諭に聞いたので一応様子を見に来たのだ。内心体調管理も出来ねぇのかクソッタレ、と悪態をついているのだが言葉に出来ないのが教員の辛いところだ。「大城戸、大丈夫か」そう言ってベッドのカーテンを開けて入る
自身の担任の声が聞こえたかと思うとカーテンが開けられ、ずかずかと入ってこられる。悟ってしまう本音とあいまり、心地のいいものではない。「あ、先生。わしは大丈夫ですわ。ほんの立ち眩みみたいなもんやってん」嘘だ。あからさまな嘘だ。ここ最近部活での動きも鈍いし、ぼんやりすることも増えていたのだから、少しでも気にしていれば分かるような嘘だ。だが櫂はそれを押し通そうとする。「気にせんといてつかぁさい。明日からは、ちゃんとするつもりやし」
「……そうか」櫂のことを暫く見つめて、浅葱は一言そう言う。何となく嘘だろうな、とは思った、友人と同じような人種だろうとも。それを追求してみたところでこの手の人種は、簡単に本当の事を言わないのも浅葱は知っている。なら放っておくのが一番だ。面倒くさいことに、浅葱は進んで関わろうとは思わない。「…一応、今日はもう早退しておけ。それで家に帰って体調整えてこい。」そう付け加えると浅葱は足早に保健室から立ち去る。
言い逃げ去れた気がする、と思いながら立ち去った浅葱の背を見送る。家に帰りたいとは思わない。帰ったところで親がいるため精神衛生上よろしくないし、何よりもかによりも、薬を飲む気にはならない。例え、担任である浅葱に自分の嘘をそうだと見抜かれようとも。「……ろくなもんやあらへんよ、生きることなんか」呟いて、早退の許可をもらったからと櫂は学校を出た。
「………はあ」教員はまったく面倒くさいことばかりだ。授業案の作成から始まって、出張だの成績付けだの。挙句待ち受けるのは生徒とのコミュニケーション。満足に愚痴のひとつもこぼせない状況に、改めて自分が何故教員になったのか理解出来ないし、大学生時代の自分を呪いたくなる。養護教諭から櫂が早退したという報告を受けて、そうですか、と返事をし名簿の櫂の欄に早退、と書くと浅葱は荷物を持って授業へと向かった
学校から出て、人の居ない方へ、人の居ない方へ、と歩いていく。誰の心も悟りたくない。誰にも服従したくない。辛い。気持ち悪い。「……薬、持ってきとっとけば良かったのう……」自嘲を溢し、全く人の気配のない裏路地にうずくまった。気分が悪くて仕方がなかった。
浅葱は黙っていれば顔は良い。加えてDomの為、昔から浅葱の顔目当てにsubがよく近寄ってきた。だからか分からないが、浅葱は口を開けば出てくるのは罵倒ばかり。subがそれで喜ぶことを知ってはいるものの、浅葱は相手を罵倒せずにいられない。顔目当ての奴は嫌いだ、本能だけで行動するやつはもっと嫌いだ、両方の人間など吐き気すら覚える。「……おいこら、授業中寝るとはいい度胸だなおい」罵倒癖はもう治らない、治そうとも思わないが
櫂はsubだが、束縛されることも服従することも大嫌いだ。自分のsubとしての本能も気持ち悪いし、Domたちの、あの支配欲を孕んだ心も嫌いだ。息苦しいのだ。息苦しくて、たまらないのだ。「は、あ、ぁ……」本能が満たされないための不調に息を乱し、櫂は冷たい壁に背中を預ける。……動けそうになかった。
「……んじゃ、さっさと部活行くなり帰るなりしろよ」授業と帰りのSHRを終わらせると、浅葱は職員室に戻ってくる。元々しっかり仕事を処理する浅葱は残業を殆どしない、そして浅葱は部活の顧問を担当していない。さっさと荷物を纏めて、急ぎ足で校舎外に出る。「あー…クソ。今日も疲れた。」溜息を吐き出しながら、浅葱は帰り道を歩いていく。
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