東京は小説より奇なり
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1月下旬、寒凪の昼放課。
休み明けの書き初め大会が終了したのも束の間、今日の星雲学園校内は、バレンタインデーに向けて妙な賑やかさを見せていた。


今年はチョコ貰えるかな、バーカお前なんかにあげるやついねーよ、と茶化し合う同級生を流し目で見ながら、翔太は溜息をついた。1年の頃から生徒会役員を担っている翔太にとって、1月下旬から2月上旬は生徒会選挙の時期だ。幸い大々的に意気込みを話す場などは設けられず、各々の公約の掲示と投票活動で事は収まるのだが、公約を書くのは何度繰り返しても憂鬱なものである。
「もうバレンタインの話か。みんな早えな、考え始めるの」
教卓の向かって右側、隣の席に花梨が腰を下ろした。翔太はほんとだよお、と気の抜けた声色で机に上半身を伸ばした。
「こっちは生徒会選挙でそれどころじゃないのにさあ。投票期間の前後で声かけてくんの、ほんと勘弁してほしいよ」
「はは、ありがたい話じゃねえか。今年も苦労することになりそうだな」
「……もー、花梨も人のこと言えないでしょ」
翔太もバレンタインが疎ましく感じる程にはチョコレートを毎年受け取るのだが、目の前の幼馴染もそれは同じだし、なんなら翔太以上の数を貰っていてもおかしくはない。本命は全て受取拒否している彼だが、ともすれば、毎年目にする義理チョコよりも実際は多い数を贈られている筈だ。
「俺はあ……今年こそないだろ。去年、かなり断ったんだぞ」
「諦めない奴が絶対何人かいるでしょ。も〜、俺憂鬱〜」
翔太にとっては自身に贈られるチョコレートよりも、花梨に贈られるチョコレートの方が、とてつもなく大きな爆弾である。今年も花梨に本命を渡しに来る人間が少人数いるだろうが、きっちり記憶に焼き付けて、厳重注意のち牽制しておかなければならない。


「へえ、花梨くんって本命は全部断ってるんだ。ちょっと意外かも」
食事前の手洗いを済ませて前方の席へと帰ってきた静流が、瞳を瞬かせながら言った。静流と花梨は主に中学の頃から友人として付き合い始めたが、学業が絡むイベントなので、初耳だったのだろう。
「答えてあげらんねえのに受け取れないだろ。申し訳ねえよ」
「気にしいなあ、相手はそんなこと気にしないだろうに。あ、そうだ朱彗くん」
購買のパンが入ったビニール袋を漁る静流を、翔太が怪訝そうに見る。何か厄介なものを見るような目線を浴びせられるも、静流は気にせず話を進めた。
「2組の奈々弥さんが呼んでるよ。今廊下にいる」
「銀華が?なんで?」
「さあ。生徒会広報のことじゃないの」
「ああ……。わーった、さんきゅ」
役員選挙が近い故に立候補者の名簿作り等、広報はそこそこ仕事がある。翔太と銀華は生徒会執行部の同じ広報役員だ。
「よおチビすけ。なんか用か?」
「チビじゃない!このチャラ眼鏡!……じゃなくて、ちょっと、こっちこっち!」
静流の言っていた通り、銀華は廊下で翔太を待っていた。声をかけると何やら焦った様子で手招きされ、廊下の隅へと誘導される。生徒会の要件にしては少々妙な流れだ。
「なんだよ。生徒会の話じゃないのか?」
「えっ、ああー……。そういや春宵くんにはそう言ったんだけど、違う違う」
銀華はもともと人目の多い場所はあまり好まないが、それにしてもなんだかコソコソしている。翔太は妙に感じつつも、取り敢えず話を聞くことにした。
「ねえ、なんかうちのクラスで、翔太と成瀬くんがデキてる……付き合ってるみたいな噂が流れてるんだけど……。本当なの?……というか翔太、大丈夫なの?」
「………は?」


生徒会室の柿渋色の重い扉の向こうから現れたのは、花梨の予報外にも、不知火と成瀬の二人だった。
「あれ、外で見かけなかったか?」
生徒会室の付近に個室はいくつか存在ため、そこで話をしていても可笑しくはない。しかし銀華がそこまで込み入った話を持ってくるなんて珍しいな、と花梨は思った。
いつもの如く腹が空腹で唸り始めているのだが、長引くだろうかーーー先に食べ始めてもなんら問題は無いのだが、おかずの交換が日常なのもあって、なんとなく待機してしまう。
一方そんなことはお構いなしに、静流が菓子パンの袋を開けて頬張り始める。袋に書かれたビターチョコレートオレンジピール入りの字列に、花梨は何かに思い当たったようにハッと表情を変えた。
「もしかして、バレンタインの話聞かれてたかな?」
「……。つまり?」
神妙な顔付きで物申す花梨に、静流が恐る恐る、しかしどこか胡乱げな眼の色で言葉を返す。
「もしかして、バレンタインに本命渡すつもりとか……。いやでも、銀華に今までそんな素振りあったか?」
「あーうん、そうかも。でも花梨くん、それ二人の前では言っちゃ駄目だよ。僕らだけの秘密ね」
「あ、そうか。そうだよな……。分かった」
静流の虚空を見つめるような死んだ瞳が若干気になったが、花梨は何故か、本能的に踏み込むことをやめにした。実際のところどうなのかは地味に気になるが、後で翔太にそれとなく話を振れば、なんなく解決するだろう。


そう言われれば廊下の隅の方に人影があった気がする。気にしていなかったからわからなかったが、あれが朱彗だったのだろう。そんな端でコソコソと何してんだか。
いつものメンバーの不在を気にしつつ、冥と牢は席に着いた。
「蒼雅君って……」
春宵と蒼雅の会話を聞いた冥が呆れ気味に笑った。面倒なことになりそうだと判断して、牢は話を逸らした。
「冥は今年のバレンタインはどうするんだ?」
「今年?今年はガトーショコラとトリュフ作ろうかなって思ってるよ」
「へえ、良いな。冥の作るものならなんでも美味いからな。楽しみにしてるよ」
へへ、と得意そうに笑う冥に思わず頬が緩む。
「2人にもあげるからね。ついでに朱彗君にも」


「僕にもくれるの?ありがたいな。じゃあ僕も何か持ってくるよ。軽くだけど」
焼き色がついたチョコ入りのパンを齧りながら、静流がすんとさせていた仏頂面を綻ばせた。静流はこういうイベントごとに興味がなさそうだが、拒絶することも意外に少ない。あるいは、他人からの好意は受け取っておくタイプなのかもしれない。若干二面性があるのか偶にとんでもなく凶悪な瞳をするのも知っているが、花梨は静流のこういう身内想いなところが良いな、と漠然と思った。
「……なんか朱彗くん遅くない?」
「そうだな。銀華も飯あるだろうに、なんかあったかな」
花梨が弁当を開けあぐねているのを見てか、静流が閉ざされた扉の方を見やった。
「僕、見てこようか」
「あー、いいよいいよ。先に食っちまおう。ありがとな」
流石にこの場の全員を気遣わせ続けるわけにはいかないので、花梨は弁当の蓋を開けようとした。蓋に手をかけて開けようとしたその瞬間、先ほどまで静流が見遣っていた特別室特有の重い扉が、バンッと大きな音を立てて開かれた。
あまりの勢いに驚いて目をやると、翔太の姿があった。なにやら呼ばれる前よりもすごい剣幕をしている。

