東京は小説より奇なり
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目的の日まではまだしばらくあるものの、成瀬冥はどうにも落ち着かずに街へと繰り出していた。そう、年が開けると成瀬冥にとって最も大切な1日──不知火牢の誕生日──があるのだった。明日牢と共に食べるためのスイーツの材料の買い出しも兼ねてショッピングモールへ向かう。
「あ、せっかくならクリスマスプレゼントも買おうかな。」
楽しみ事の準備をする足取りは軽い。ワインレッドのケープが揺れた。冥にとってオシャレは武装だった。特に1人で出かける時はその意味合いが強い。より美しく、魅力的な姿は他者からの悪意を好意に変える。それは冥にとって何よりの武器だ。ショーウィンドウに映る自らの姿に冥は背筋を伸ばす。
ふと視界の奥に見覚えのあるシルエットがあることに気付いた。あの茶髪に赤い眼鏡、間違いない。声をかけるか素知らぬ振りして通り過ぎるか、悩んでいるうちにすぐそばまで来てしまっていた。これは声をかけない訳にもいかないだろう。でも「やあ」なんて親しげに声をかけるのもなんだか違和感がある。一巡りの思考の後、成瀬冥は息を潜めて青年の背後に立ち、背伸びをして、目いっぱいの低い声で「動くな、朱彗翔太」と呼んでみた。


露骨に狼狽の色を見せた成瀬に一瞬訳もなく押し黙る。知り合いじゃなきゃ殴ってたぞとごちれば、相手が野蛮なモノを見る目を向けてきたのが分かったが、大変結構だーーー無論、皮肉である。
「…にしても、こんな日のこんな時間に珍しいな。今年は出来合いで済ませんのか?」
成瀬は甘いモノを作るのが得意だと聞いている。意外にも彼と鉢合わせた現在地点は、最近オープンしたケーキ屋の前だった。
こんな場所で鉢合わせて、しかも向こうが自分に気がつくとは、意外も意外だ。付き合いの長さ故だろうか。ちなみに今宵の翔太は、年末帰省した姉と母の2人に命じられ、クリスマスケーキを買いに来た経緯であるーーーー今年もささやかな抵抗を試みたが、もはや翔太が買いに行くのが恒例行事になってきていた。


「ああ、なんだパシリか」
とショーウィンドウを眺める。プロのケーキ自体に不満は無い。実際目の前にあるどのケーキもとても繊細で美しい。でも、もしこれを牢君が食べて「美味しい」なんて言ったら?冥は身震いした。絶対に、嫌だ。牢君が食べて美味しいと言うのは僕が作ったものだけであって欲しい。……なんて、叶うはずのない夢物語なのだけれど。でも、せめて、スイーツだけは誰にも譲りたくない。
ふと、家族に頼まれて来たという言葉に気になるところがあった。
「朱彗君、今年は蒼雅君と過ごさないの?」
何か約束をした訳では無いが、自分達は今年のクリスマスはどうする?と当然のように共に過ごす流れになっていた。てっきり彼らもそういうものなのだと思っていたから、少し意外だった。


成瀬の的確かつ無難な問いに、翔太はまたもや一瞬声を詰まらせた。昨日の水雪と泥が混ざった地面を靴先で叩きながら、ばつが悪そうに口端を落とす。
「今年のイブは先約があんだよ……。別にいーし、当日は遊ぶ約束してるから」
先約があるなんてもっともな言い回しをしたが、実際は、少々事情が異なる。
キリスト降誕祭前日であるクリスマスイブーーー12月24日は、日頃世話になっている友人の誕生日だ。本日の主役である彼は滅法消極的ーーといっても最近は引かなくなってきていたがーーーだが、見るからに花梨のことが好きで。本日ばかりはさしもの翔太も身を引いて、主役に花を持たせた次第である。最も、午後だけだが。
目の前の青年にそれを知られるのは、未だなんとなく気恥ずかしかった。

